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「あるも」との合演
はなやの日誌 vol.2
(合唱団「あるも」との2回目の演奏会)
はなやの日誌、図にのって第2回目となりました。 例によってこのコーナーは はなやが「個人的な見解」(!!)で勝手に書いておりますのでご了承の上、お暇な方のみおつきあい下さいm(_
_)m
「うたおに&あるも第2回合同演奏会」のレポートです。
あ、内容「だけ」を知りたい方のためによけいな文章の前に(^^;;プログラムを記載しておきます。
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「うたおに&あるも第2回合同演奏会」
1997年2月9日(日) 13:30開場 14:00開演
三重県文化会館・大ホール(三重県総合文化センター内)
1 メンデルスゾーン/HORA EST (合同) 指揮 小柴信之
2 間宮芳生/合唱のためのコンポジションT (あるも)指揮 森川紀博
3 林 光(編)/日本抒情歌曲集より (うたおに)
中国地方の子守歌、お菓子と娘、曼珠沙華、ペチカ
待ちぼうけ、ゴンドラの歌 指揮 小林正美
4 ロシア民謡集より (合同)
バイカル湖のほとり、ヴォルガの舟歌、赤いサラファン、ともしび
暗き森にて、母なるヴォルガを下りて 指揮 森川紀博
アンコール
ロンドンデリー・エア(指揮 小柴信之)
わたりどり(指揮 森川紀博)
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合唱団「あるも」はご存じの方も多いとは思いますが、中部地区でも大変活躍めざ
ましい富山県の混声合唱団です。団長同士が実の兄弟ということもあっておつきあい
が始まり、一昨年夏に第1回目となる「うたおに&あるも合同演奏会」を催し、それ
以来の飲み友達(!)になってしまいました。
実は、僕はその1回目には出ていないのです。
参考までにお書きしますと、1回目は富山市で行い(’95夏)合同ステージがコダ
ーイの「マトラの風景」と三善晃編曲の「唱歌の四季」それぞれのステージは「うた
おに」が柴田南雄「みなまた」、「あるも」が武満徹「うた」より でした。
僕はまさにこの夏は「はなやの日誌」にふさわしく(?)「あの」めちゃめちゃ暑
い夏に、とある関係で汗まみれ花まみれになっていました。どうでもいい事ですが意
識が遠くなるくらい、のどが渇いたり体がだるかったりするなか「避暑」だか「合宿」
だか分からない「富山への旅行」(なんて書いたらおこられるではないか・・・(・・;;)
に行けないのを恨めしく思っていました。
おまけにこの年の合宿はほとんど演奏会オンリーでコンクールの練習なんてほとん
どせずに帰ってくるし(;_;)←だってこの頃って海のものとも山のものとも分からな
い(!)シェーファーのMAGIC SONGSに取りかかった頃で、めちゃめちゃ不安でした。
はい。話がそれましたが、その第1回目が「それはもう楽しかった」らしいのです。
(くそー!)
で、2回目の公演が津であるというのははじめから分かっていたのですが、まぁこ
んな大変な経過になるとは・・・というのが今回のお話です。(?)
スタッフのみなさんの間の最初の話し合いで合同ステの曲目などが決まったようで
すが、これには(無役職の)僕は関わっていないので、ようやく「あるも」さんの雰
囲気をつかんだのは夏の演奏会に(2月の合演の先行チラシを持って)団長と(行き
帰り富山までずっと運転して大変だった)Rさんと一緒に夏の「あるも」の演奏会に
おじゃましたときでした。
あるもの演奏会の曲目にははコンクール富山県大会がすぐなのにも関わらず、コン
クール曲であったラウタバーラの「ロルカ組曲」は含まれていなくて、
パレストリーナモテット集、ポップスステージ、ロボス「ベンディダサベドリア」、
間宮芳生「合唱のためのコンポジション1」
というプログラムでした。
響きの面ではやや不満な富山県教育文化会館ホールでの演奏会で、パレストリー
ナのような宗教曲では やや不利かな、と思いましたが、非常に清潔な演奏でした。
ポップスは元気で陽気なあるもを垣間見ました。ロボスは団員の橋本さんの指揮での
ステージでしたが、難曲をよく歌っていた事を思い出します。とてもハーモニーが決
めにくそうな曲をよくもまぁ・・・「うたおに」には向いてないなぁ・・・(^^;;
この日の一番はやっぱり最後のコンポジションでしょう。とても楽しめました。ソ
ロも素敵やったなぁ・・・ウンウン(+_+)。
( で、この後の宴会で団長がこの今回の第2回目の合演でも是非!!とリクエス
ト・・・というより半ば強制的やったな・・・して、ホンマに歌ってくれました。)
その日の演奏会終了後の宴会なのですが・・・夕方5時過ぎに始まった宴会を終え、
ホテルに帰ったのは日が変わってました。
よくある事じゃない!と思われるかもしれないけれど・・・なんと同じ場所でです。
しかも始めっから終わりまでハイテンションのまま。・・・僕はまともに「あるも」さ
んと交流したのは全くの初めてだったので、ひたすら圧倒されっぱなしで、ひたすら
雰囲気にもお酒にも(!)飲まれっぱなしでした。(_ _;;
「うたおに」にとってこの夏(’96)から秋に向けては多治見少年少女とのとの
共演(「宇宙について」他)、コンクールがらみで大忙し期間でしたが、そのまった
だ中に、はじめての、この第2回目となる合演の合わせ練習がありました。
これが10月12日の土曜日。
「あるも」さんは7時間近くかけて津にやって来てくれたのに、用意された練習時間
はたったの2時間30分・・・「あるも」さんはお泊まりバージョンなのにぃ。
はい、ご察しの通りその3倍くらいの時間宴会をしていた「みたい」です。駐車場追
い出された面々は朝までやってたとお聞きしてます。(_ _;;
僕は2次会の途中で翌日の関東合唱コンクール観戦(?)のため途中でお暇しまし
た。(それでも11時くらいまでつき合ったよな)
で、年末まではあれよあれよで練習できず、ロシア民謡やら、抒情歌をまともに歌
えないまま年を越しそうでした。
本物の(?)チラシがようやく出来たのは年末の三重音楽祭当日。
秋には何にも準備してなかったし。
ポスターは年明けて、「うたおに」が新年会を兼ねて富山に行くのに何とか間に合
ったくらい。ケドもうひと月ないー!!(T_T)
富山での新年会は「うたおに」にとっては久々のバスツアーで、予想された大宴会
+練習でした。
その頃さすがに焦り始めました。
(どーしよー、プログラム・・・。)
この時期ならうちの仕事(本職?)は何とかなると思ってこの印刷関係の仕事を
引き受けたのに、この富山行き以降 はなやの農場は花満開。
(嘘でしょー、ここ9年間こんな時期に忙しい事なんて一度もなかったのにぃ)
1月下旬にさすがに団長が、
「プログラムやっつけなあかんで」
と前回の音楽会でも印刷物関係でご苦労されたアルトパトリ女史をまたもや巻き込ん
で、団長宅で。
夜遅くというか朝早くまでというか・・・タイヘンデシタネ。
うちの「花ども」はどうも演奏会と聞くと開きたくなるらしく、結局一番ご苦労
されたのは一番忙しい団長さまでした。m(_ _)mゴクローサマ。プログラムは印刷屋さんに
ご迷惑かけなんとか前日に出来上がりました。
うちの団長がやたら忙しいのは今に始まった事じゃないとはいえ、今回は特に違っ
たのです。
もうお気づきと思いますが、第1ステージのメンデルスゾーン、10月に「あるも」
さんをお迎えしたときは音楽監督の羽根功二先生が振ったのですが、それ以降に突然
この2月9日はお仕事関係でどうしても出られなくなり、急遽合同のステージのメン
デルスゾーンを団長が振ることになり(単独ステージはテナーのパトリ、小林先生)、
ご自分ひとりだけでも(連盟の仕事が翌日あるにも関わらず)富山まで飲みに・・・アワワ
(^^;;練習をしに行っていたくらいでした。
にも関わらずマック共々よく働いて下さいました。
あぁ、脱線しまくっているけど、(だいたい僕が演奏についてどうこう言えるはず
ないのです)
演奏会付近、僕はろくに練習にも参加できないお花に囲まれた(不?)幸せな時
間の連続で、直前の リハもろくにのれなかったのに、本番は気がついたら「歌いと
ばし」「大よぼり大会」(注:ヨボル→誰よりも大きな声で歌おうとすること)の連
続で、個人的には昔の「うたおに」が帰ってきたみたいで嬉しくもあり、進歩のない
自分に情けなくもありの演奏でした。
みんなはやたら打ち上げも含めて満足そうでしたね。
接待関係で働いたメンバーはありとあらゆる知恵を駆使して(!)いろいろ盛り
上げてくれました。 「あるも」さんがこれに懲りていなかったら(^^;;第3回もあ
るかもしれないなぁ。 でも、なんか実現させたいな。(o^_^o)
個人的反省すべき点は、本番前夜睡眠時間が少ないと「こーなる」という事を思い
知らされた、まさに「楽譜とプログラムと花」に埋もれたはなやの何日かでしたが、
陽気で素敵な時間をご一緒下さった「あるも」の森川先生とメンバーのみなさんには
感謝でいっぱいです。
演奏会の何の感想にも経過報告にもなっていないのでこのコーナーは今回で終わる
かもしれない
・・・ウンウン(_ _;;
1997.2.23記
('97.8.17改訂)
97/08/17(Sun) はなや
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