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はなやの日誌

 その1 多治見少年少女との共演を終えて。



          (「多治見少年少女合唱団定期演奏会」編)


 「うたおに」は今年も大きな舞台にたくさん恵まれ、素敵な時間を過ごしてきまし

た。 その一部を(つたない文章でですが(;^^;))レポートいたします。 



 なお、このレポートは はなやの独断と偏見で書いていて、「うたおに」公式のもの

ではありません。悪しからずご了承下さい  ・・・m(_ _)m



  しがない花作りの独り言です。ペコm(_ _)mペコ

(うちの団員ってこのレポートどころかこのホームページの存在さえ知らないんじゃ

ないかなぁ・・・(^^;;) 



多治見少年少女との共演を終えて。



 岐阜県にとても素敵な「すごい」少年少女合唱団があるって聴いたのはいつのこと

だったでしょうか。僕自身は当時はとにかく「すごいらしい」ということしか分から

なくて、ただ練習を見に行ったうちの団員や普段お世話になっているピアニスト北住

 淳さんの話でしか知りませんでした。(北住さんは多治見のピアニストでもありま

す) 



 そのうち、演奏会に何人かの団員が聴きに行くようになり、僕も彼らに遅れること

何年目かにしてようやく多治見市での演奏会を聴きに行く機会に恵まれました。 



 録音では聴いたことがあったのです。確かにすごい子達、どうしてこんな難曲が中

央からはかけ離れた多治見市という街の子供達で出来てしまうんかなぁと失礼なこと

を思ったりしていました。 



 そして、生で聴いた音楽は「大きな空間」でした。このときのプログラムが武満徹、

柴田南雄、三善晃、林光(委嘱初演)、鈴木輝昭というものでしたが、これほど子供

達ではまだ歌えないだろうと一般的に考えられるテキストが、素直に聞こえてきたの

が何より印象的でした。

 「すごい」という感想はいつの間にかどこにもない(とうにそれらを越えてしまっ

た)素敵な瞬間でしたね。 



 その子達との共演。時間(スケジュール)的にも人数のバランスからも、そして持

っている音楽の力の上からも、そんなことが実現するのだろうかというのが率直な思

いでしたが、今年それは実現しました。 



 '96年に入って突然(年内たてられた予定には何もなかったのに)今年秋に多治見

少年少女と柴田先生の「宇宙について」を歌うことになったらしいということが聞こ

えてきて、

(うそでしょ?あの曲?多治見と?) 

 もっと言うと「誰が歌うの?」と言いたくなる思いで聞いた情報でした。 



 確かに「宇宙について」を歌うという計画は以前もあったのです。ただあの時は平

成6年に控えた国民文化祭の前年度のプレ行事で、合唱連盟で演奏するというお話だ

ったのが、同じ柴田先生の作品で「春立つと」に変更になりました。

(たぶん時間的にも力の上からも無理ということだったのでしょう) 



 その後田中先生は多治見と「うたおに」で「宇宙」を歌わせたいらしいなぁんて

「うわさ」(?)も聞こえてきていましたが、まるで他人事のように聞いていまし

た。 



 それが何の準備もしていないのに、しかも初めの予定では「9月の多治見の定期演

奏会で」なんてお話だったから、まぁ現実味のないお話。でも決まってしまったので

すよね。 



 その「お話」が正式に決まってまもなく、 



 柴田先生は帰らない人となってしまいました。 



 今年80歳になられる柴田先生をお祝いしようと計画された今回の演奏会は「追悼」

という形になってしまいました。 



 この「多治見定期での宇宙」は「うたおに」男声が賛助するという形になり、それ

と同時に松阪市(三重県)で毎年催される「松阪合唱フェスティバル」への出演も決

まりました。曲目は多治見定期と同じ「宇宙について」を多治見プラス「うたおに」

で。それと昨年「うたおに音楽会」で歌った一柳慧作曲の「子供の十字軍」を今度は

多治見プラス「うたおに」男声で、そして多治見プラス女声は三善晃の作品を。 



 田中先生のスケジュールとの兼ね合いもあって、多治見の演奏会は11月3日に延

期になりました。松阪はその1週間後です。





 2月にこのお話が正式に決まったのですからほとんどの団員にとって「未知の曲」

の「宇宙について」をもっと早い時期に練習するべきだったのです。というか、練習

するはずだったのです・・・ハイ(^^;; 

 でも現実には今年初めて全ステージを田中先生に振っていただいた「第25回うた

おに音楽会」は「あっ!!」という間にやってきてしまい、時すでに暑い季節。 



 夏から秋のコンクールの練習と並行して、ようやく「宇宙」の練習は始まりまし

た。 

 春と秋しか効かない優秀なクーラーのある部屋で「おらしょ」や「華厳教」は唱え

られ始めました。(そのうちほんとに優秀なエアコン!に化けていたのは、スタッフ

の優しいご配慮でしょうか・・・泣いたのは会計女史?(^^;;) 



 初めての多治見での合わせは県コンクール前日(;_;) 



 そして10月に2回目があり、このときに男声に多治見少年少女の団長である谷村先

生の教え子のみなさんで構成される真友会、名古屋のクールジョワイエ、ノースエコ

ーの有志の方々が加わって下さり初めての合わせの時心配されたバランスは少し解消

されました。 



 次の合わせはもう前日、11月2日のリハーサルでした。 



 11月2日「うたおに」男声陣は夕方からの練習に合わせて、津を出発しました。 

三々五々集まってきては、暗譜となる後半部分を必死でぶつぶつ覚えている姿が目だ

ちましたね。 

 そして練習開始。 

 多治見の指揮者の柘植先生から、6章の「庶民族の歌」のグループ発表会をしても

らいます、との指示。 

 おや?と思いながらも、それぞれのグループの披露があってうちのグループのよう

にその場で無理矢理(!)振りをつけたところもあれば、多治見の子達のようなみん

なで考えたご立派な(!)ものもありました。 



 何しろ振りどころか男声陣は庶民族の音や歌詞さえ覚えていない(_ _;; 



 前日とは思えないぼろぼろのグループ発表も含め一通り終わった後 

「田中先生は今夜はN響の本番が遅れて来て頂けません」との連絡。 

 ありゃ?!やっぱり。 

 この日、東京でモツレクの合唱指揮をした田中先生が、予定より遅れて今晩は来る

事が出来ないと言う。 



(ええんかなぁ、こんな前日に田中先生にみてもらわないで) 



とか一瞬思いかけましたが、そんな心配はほとんど無用・・・どころか歌えてない自分

をもっと心配しろよ、というくらいしっかりした多治見少年少女の柘植先生の練習で、

到着したとき 



「腹減った、カレーパン食いたい」(^^;;ナンヤソレハ 

なんて言ってた自分をすっかり忘れていました。 



 練習後食事をすませ、せっかく来た異国(?)の地で羽をのばすこともなく、おと 

なしく宿舎に帰り明日の本番を待つばかり。 



 そして翌日。つまりは夕方にはいよいよ本番。 



 朝ご飯を食べに喫茶に入りましたが、割とみんな静かでした。 

 そのうち楽譜なんて出してきたりして、自分達の音楽会でも見られない光景があっ

ちでもこっちでも始まったりしていました。 



 カメラリハーサルもかねた、本番の衣装を着たゲネプロが3時過ぎから始まりまし

た。 

 今回の「宇宙について」の衣装は、いわゆる既成のものは不可で、白い布を使いみ

んながアレンジしました。 

 ごく少数派ですが既成のものでも、おもしろく(?)着こなしてる団員もいました

が。ダレノコトカナァ(^^;; 



 10月の練習の時に未完成のまま一度通しただけで、後半部楽譜をはずして全部通す

のは初めてで、かなり不安なままの練習で、動きのある暗譜部分ばかり気を取られて

いると前半部分が出来ないし、10月の練習で4章の終盤部「兄弟達よ」の移調の部

分は



「(本番)ピッチパイプで音をとってもいいから決めて!」

と田中先生に言われていたのに(今までの公演でも余り決まった事がないというお話

しでした)数時間後に本番というのに全然決まらず、課題は山積みで憂鬱なまま終え

たゲネプロでした。 



 夕食のお弁当を頂いて、そのうち最終章の華厳教の楽譜の縮小コピーがどうにか、

カン ニングできないかなんて、四苦八苦してる姿もあれば、6章の振り付けをやっ

てる者もいるし、端から見たらただの変な集団の控え室で、なんと本番までもう1時

間もないんじゃないかと言う時間帯に!!



・・・・・・・・・・・音取りが始まりました(^^;;;;;;;



 例の「兄弟達よ」の部分。有志だけでというお話しが見渡すと全員集合。異国の風

に吹 かれどうしちゃったものか、ここでも悪あがき・・・(^^;;。 



 舞台袖にスタンバイして下さいと指示があり、聴こえてくるのは「宇宙」の前のス

テ ージ、多治見の子たちだけで演奏している「北越戯譜」の最後の部分(大の坂)

太鼓と笛にのったメロディーが聴こえてきました・・・。 



**************************************



 休憩をはさんだ約1時間後、僕たちはたくさんのお客様の拍手の中にいました。 



 大変な夏からの経過も、歌い始めるとあっという間の出来事で、でもその時間が余

りにも大きなものとして自分の中に残ったのを感じながら、全身にその拍手を受けて

いました。 

 それぞれ色々な思いはあったとは思いますが、つい何年か前は客席で聴いた多治見

の子達の大きな音楽を、舞台で共にして(特に本番の集中力には歌いながらも驚くべ

きものでした)、ようやくこの舞台を終えたんだなぁという思いとともに、 



 三重の地に帰りました。 



                                                         はなや



                                1996.12.18記 

                               ('97.8.16改訂)



                                                          97/08/17(Sun)  


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