はなやの日誌・カナダ紀行記
〜カナダ紀行記の前に・・・。
例によって、はなやの日誌ですから、僕の個人的な時間の流れのもと書かれています。
メンバーが書いた新聞記事と重複するところもありますが、それなりに興味ある方は比較して(?)お楽しみ下さい。・・・間違っても文章力を比較したりしないで下さい・・・(^_^;)
とっても湿気が少なくて、肌寒いとは言っても心地よい程度の、「あの状態」を思い出すにはほど遠いこの日本の夏・・・。しかもコンピューターの電源やらなにやらで煮詰まってるのに、部屋の「しろくまくん」(推定年齢20数歳の温風ヒーター付き冷房。エアコンと呼ぶにはほど遠すぎる・・・)はすっかり壊れてしまったようで・・・、
暑いぞ・・・。
申し訳なさそうに扇風機があっちこっちしています。ぎーっつ、ぎったん。
カナダ公演のコーナーに「カナダ紀行記」と書いてリンクさせずじまいで・・・このまま終わってしまいそうで・・・いや、僕ならしかねない・・・。
はい、、、張り切って参りましょう、「はなやの日誌・カナダ公演編」です。
すっかりさび付いてしまったこの記憶の彼方、どうやって呼び起こそうか?
でも、その前に少し前置きです。
「17の俳句」の初演のことが一部このHPのどこかにも残っていますが、
それをさかのぼる事さらに2年、平成7年のこれまたとても暑い夏から始まったことでした。
思い出すには古すぎるので詳しくは省略してしまいますが、今の県文化会館が出来た翌年、はじめて「うたおに」音楽会を新しい文化会館・大ホールで開くという時、その2、3日前からばたばたと、よちよちと歩き始めました、カナダに向けて・・・。
コンクール自由曲としてその年の音楽会の客演指揮者、田中信昭先生に推薦していただいた「マジックソングズ」
あの夏シェイファー氏は偶然にも仕事で東京に来ていました。
色んな「つて」を経て、音楽会の2日前だったか前日だったかに、直接ホテルへ向けて連絡をとりました。
そして、2週間後にはたくさんの楽譜が送られてきました。
いきなり見ず知らずの団体が連絡したにもかかわらず、シェイファー氏は日本にみえる時にカナダに向けて楽譜を手配して下さったようです。
これらは色んな方々のご厚意あって実現したことでした。
コンクール県大会までは一ヶ月を切っていましたね。
でも全国大会にてはじめての金賞とシード団体指名。
以後コンクールで平成9年の「17俳句」まで3年間シェイファー作品を取り上げ続けるわけですが、その間「お手の物」だとか「十八番の」とか言われ続けました。なんのなんの(^_^;)「うたおに」はほとんど彼の作品なんてしたことがなかったのです。
けれど何の拍子か、トントン拍子。
今回カナダに行った際も再三、そしてバンクーバー室内合唱団がレコーディングした「17の俳句」のCDのブックレットにも紹介されていますが、一番はじめに演奏した「マジックゾングズ」の録音をお送りして聴いていただいたことが、とてもシェイファー氏の中では衝撃的だったようです。
「うたおに」の演奏した「マジックソングズ」・・・今更何も言いませんが、完璧な音で歌えているはずが、、、ないのです。
けれど、あの時の演奏を聴いた印象がとても強かった、という事が今回のツアー中もよく伝わってきました。
あのコンクール演奏テープとともに、新作の依頼をして、
その「17の俳句」があって、
初演演奏会があって、
帰る際に氏が言った
「今度はカナダで会いましょう」
といったひとことから始まったのでした。
よちよち歩きでは決して到達できない、一歩を踏み出した瞬間でした。