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歴史講座うたおに創世記


1975年11月17日

第1回うたおに音楽会

顔見世興行


●「うたおに」応援団

   「うたおに」応援団もすごかった。

スナック「カシミア」のママは

実は津に来るまではFM東京の音楽プロデューサー。

そこに出入りする面々が、ほんまにおもろい人達で、

 スナック「なぎさ」の”お母さん”。

炉辺焼き「海賊」のヤーさんのような大将。

東海ラジオ、津放送のえらいさん。

有名なところではハムさんこと作曲家の服部公一氏。

そしてマロさんこと川喜田さん。

  何を応援してくれたのかは今でもよく分からないけれど、

皆さん本当にお世話になりました。


●第1回うたおに音楽会 「顔見世興行」

  ともかく、スナック「カシミア」は我々の溜まり場と化し、

上記の”懲りない面々”と訳のわからん話に花が咲き、

たまに夜を徹してうたおに講義をし、

たまではないけれど、やはり夜を徹してマージャンをし、

そうこうしているうちに、第1回音楽会の準備が、

何故か不思議にも整いました。

  大門周辺の飲み屋には

それに全く似つかわしくないポスターがベタベタ張られ、

 一種異様な空気が漂っていたことを覚えております。

  
  「おい、祝い酒持って店じゅうで駆けつけたるでな!!」

  「あ、はっ、はい、ありがとうございます」

(ええんかいな、ほかの客帰ってかへんかいなー)

  「顔見世興行って、あんたら歌舞伎やるの!

えっ、違うて?ほんなら何するの?」

 「合唱です」「合掌って何おがむんかいな?」(これは作り話)

「合唱?歌うのかいな。訳のわからんのやろなー。

まあええわ、教養つけて男はんに威張ったろ(多少作り話)」

-上記登場人物の暖かい励ましー


  団員も30人代となり、

しかし、声量は50人前という大よぼり合唱団の第1回音楽会が、

副題も「顔見世興行」と銘打って、いよいよ開催のはこびとなりました。


  さて内容はと言っても、

これはもう今の「うたおに」では考えられない程度でしたが、

ただ、私たちは精一杯でかい声をはりあげ、

客そっちのけで舞台を楽しみ、実に愉快な音楽会でした。


  特に印象に残っていることといえば、

例の応援団がちゃんと来てくれて演奏が終了するやいなや、

舞台に一升瓶は並ぶわ、握手攻めにあうわ、

何故か野菜をプレゼントしてくれるわで、

もう大変な騒ぎだったことを覚えています。


1988年5月30日発行  「おにっ子通信第15号」(当時の団報)より抜粋



第1回うたおに音楽会 「顔見世興行」

場所  三重県文化会館


おにの子のうた(大中 恩)

青猪の歌(田中利光)

日本の四季のうた

筑後川(團 伊玖磨)


■関連情報■
うたおに音楽会の記録

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