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●最初は大川学園の合唱講座としてスタート!! |
そもそも「うたおに」の始まりというのは、津高音楽部出身の、エプロン、スー、タロウと 呼ばれる3人が、OB合唱団をつくろうと提唱したことに端を発します。 しかし、OBだけに限るのではなく、開かれた合唱団にするべきだという方針を定めま す。そして人数を確保するため、当時つぶれかけていた三重大学・医学部合唱団に声 をかけて、新しい合唱団が発足する運びとなりました。 さて第1回目の練習でありますが、昭和49年4月4日、大川学園に二十数名のメン バーを集めて、記念すべき第一歩が踏み出されました。なんと練習場の関係から、 大川学園の”合唱講座”という形でのスタートでした。このとき、はるばる大阪の堺市か ら駆けつけた人もあったそうです。 「今までに無い合唱団を!」というキャッチフレーズを掲げた我が団でありますが、 当時#や♭の多い歌は、すなわち”難曲”でした。例えば・・・・・「光る砂漠」。また「椰子 の実」もピアノと合うことが珍しかったそうです。 |
●徹夜で考えた団名 |
「コーロベーネ」「杉」「マタンキ」「白樺」「わだつみ」「赤福餅は ええじゃないか」 「中村テッキンの奥さん美人」「うたおに」・・・・etc.我が団の名前として候補に上った ものたちです。 1回目の練習に向けて、創立の中心となったメンバー達は八町(津高の近く)の羽根 氏の下宿で徹夜で考えたのですが(半分冗談だったようですが・・・・・・)、なかなか決 まりませんでした。 そこで5つくらいに絞って、1回目の練習のときにみんなに投票してもらおうということ になりました。その選択肢の中に「うたおに」があったのです。 ちなみに提案者は、スーちゃんでした。 決まった時には「こんな田舎くさい名前はイヤ!」という団員も多かったみたいです が、みんなで呼んでいるうちにだんだんと違和感がなくなっていったようです。 |
1987年11月5日発行 「おにっ子通信」第5号(当時の団報)より抜粋 |
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